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大阪高等裁判所 昭和61年(う)441号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事田中豊作成の控訴趣意書、並びに被告人甲については被告人本人及び弁護人山田一夫各作成の控訴趣意書、被告人乙については弁護人峰島徳太郎作成の控訴趣意書各記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、右両弁護人各作成の答弁書、右両弁護人の各控訴趣意に対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事小林秀春作成の答弁書各記載のとおりであるから、これらを引用する。

一、被告人甲の控訴趣意中原判示第一の事実(犯行に至る経緯として判示する部分を含む。)に対する事実誤認の主張並びに弁護人山田一夫の控訴趣意第一の一ないし四及び弁護人峰島徳太郎の控訴趣意第一点(いずれも右同事実に対する事実誤認の主張)について

各論旨は、いずれも、原判決が、判示第一において、被告人両名の殺意と共謀の事実を認定したことについて、それぞれ当該被告人の関係で、殺意及び共謀の不存在を主張し、原判決にはこの点で判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、各所論にかんがみ記録及び証拠物を調査して検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第一の事実は、原判決が、「殺意及び共謀について」の標題のもとに、原判示犯行時及びその前後における被告人両名の言動並びに兇器として用いられた銃剣の形状、性能などに照らして、少なくとも被害者方に侵入する直前における被告人両名の被害者に対する確定的殺意とその共謀の存在を認定するのが相当である旨説示する部分を含めて、これを十分肯認することができる。

各所論は、いずれも、被告人両名の公判段階における供述を採らず、その各捜査段階における供述に依拠して原判示第一の事実を認定した原判決は、証拠の価値判断を誤ったものであると主張するので、記録及び当審における事実取調べの結果を併せ検討するのに、被告人甲は、捜査段階においては、「乙が永野方玄関戸の横の窓ガラスを蹴破ったのを見て、永野殺害を決意し、乙に『よし、やれ。』と言って所携の鞄の中の銃剣を手渡したうえ、同人に続いて窓から永野方に侵入し、同所において、永野の両脇を両手で抱え込んで捕らえ、乙が右銃剣で永野を刺すのを助けた。」旨、自己の犯行について述べるとともに、その犯行に至る経緯並びに犯行時及びその前後の状況について概ね原判決の認定に沿う事実を具体的に供述していたが、公判段階に至って殺意を否認し、「本件犯行当日、甲鉄工所で乙と話し合っているころからの記憶が不確かであり、ことに永野方に窓から侵入して、同人に『お前が永野か。』と呼びかけたあとの出来事は全く覚えておらず、報道陣の写真撮影等のフラッシュで気がついたときには、既に永野は刺されて寝室に倒れていた。」旨供述しており、一方乙は、捜査段階においては、「永野方玄関戸の横の窓ガラスを蹴破った直後、甲が『やれ』と言って鞄を差し出したので、そこから銃剣を取り出して窓から永野方に入ったが、このときには甲とともに永野を殺害する決意をしており、侵入後永野の姿を発見するや、右手に持った銃剣で同人の頭部に切りつけ、次いで同人の腹部などを数回刺したが、その間永野方に侵入してきた甲の指示で、同人に正面から抱きつかれている永野の左脇腹を刺しており、さらに永野方を出てからも右窓越しに室内に身体を乗り入れるようにして、同所に仰向けに倒れている同人の腹部を突き刺した。」旨、その行動の順序等の仔細な箇所については、記憶違いによる訂正を交えながらも、自己の犯行状況を具体的に述べ、その供述内容も大筋において一貫していたが、公判段階に至って甲と同様殺意を否認し、原審第三回及び第四回公判期日において、「永野方に侵入した直後に同人の頭部に切りつけ、さらに左足を刺したが、このあたりから何をしているのかわからなくなり、さらに同人の腹部等を刺したかどうかははっきりしない。永野方を出てから窓越しに同人の腹部を刺している。左足を刺したころから永野方を出るところまでの間は銃剣は持っていなかったが、銃剣を離した状況や再び持った状況は記憶していない。」旨述べ、原審第六回公判期日においては、「左足を刺したあと、永野方に入ってきて同人を捕えた甲から銃剣をとりあげられた。永野方を出てから窓越しに同人の腹部を刺したような気がするが、刺さったかどうかまではわからない。」旨述べるなど、その供述に変遷がみられ、さらに当審公判廷において、「乙は永野の頭部に切りつけ左足を刺したが、それ以外の刺傷行為はすべて甲がやった。甲は永野の身体に乗りかかって首を締めたあと、乙から銃剣をひったくってこれで永野の腹部を刺した。」旨述べるなど、被告人両名の犯行状況に関する供述は、捜査段階においてほぼ合致していたが、公判段階においてそれぞれ従前の供述を大幅に変えることにより、その相互に著しい相違をきたし、ことにその核心部分についてそれぞれの言い分が鋭く対立するに至っていることが明らかである。

そこで、これらの各供述の信用性について検討するのに、被告人甲の公判段階での供述は、本件犯行前永野方に赴くに先立って甲鉄工所で被告人乙と話し合った際の会話の内容及び被告人甲が永野方に侵入した直後からの永野に対する殺害の実行行為に関する状況などの部分については、被告人両名以外に関知する者がいない事実であり、そして本件犯行の罪責にかかわる核心部分について記憶がないと述べるものであるところ、これを仔細にみると被告人甲が永野方の鉄扉をパイプ椅子で叩き、被告人乙が同人方窓ガラスを破って室内に侵入し、さらに被告人甲もこれに遅れて同室内に侵入したことや永野殺害後犯行現場で被告人甲自身のとった言動など、他に目撃者があり、かつビデオテープなどの客観的証拠によって動かしがたい事実、さらには永野方前通路に居合わせた多数の報道関係者が被告人両名に永野に対する加害行為をけしかける言動をとったことなど、報道関係者にも本件の帰責事由があるとする被告人甲の主張に沿う事実については、相当に具体的で詳細な供述をする一方、同一機会における出来事のうち、通常強く印象づけられる筈の犯行状況(異常体験事実)については全く記憶がないとするものであり、まずこの点において不自然の感を免れないうえ、記憶欠損の理由として述べるところも、「記憶の消える現象が起った。」とか、「自分で思い出したくないというブレーキがかかっているとしか思えない。」などという甚だ首肯しがたいものであって、全体として信用性に乏しいものといわざるを得ない。また、被告人乙の公判段階での供述は、同被告人の捜査段階の供述と著しく趣きを異にするものであるのみならず、原審第三回公判期日においては、永野方での同人に対する被告人両名の言動につき、記憶がないといい、ほぼ全面にわたってあいまいな供述をくり返しながら、永野の腹部と左足を刺したのみで、そのあと銃剣を所持していなかったと断言してみたり、他方検察官の取調べの際には記憶のままに供述したかのように述べるなど、その供述内容に著しい混乱がみられ、原審第四回公判期日においても、概ねあいまいな供述に終始し、被告人甲の行動についても推測程度の供述に止まっていたのが、第六回公判期日に至って、捜査段階での犯行状況に関する供述の主要な部分について、その殆んどが創作或いは推測であると述べたうえ、「皆のみていないところで甲が永野を殺している。」などと言って、被告人甲が本件実行行為の主要な部分を担当した旨ほのめかし、さらに当審公判廷においては、永野の死因となった胸部及び腹部各刺創はすべて被告人甲の実行行為によって生じたもので、自分が右各傷害を与えたことはない旨述べるに至っている。以上被告人乙の供述は、公判期日を重ねるごとに自己の罪責を軽減する方向に推移し、しかも当初記憶欠損を理由にあいまいな供述をしていたのが、主として被告人甲の行動については全く新たな事実を具体的かつ断定的に述べるなど、その前後に不自然な飛躍がみられること、尤も、被告人乙は、このように供述を変更した理由につき、「捜査段階では、自分のことは言えても甲のことは言えなかった。」「当初、永野が死んでいると思わなかったので、別に二人も捕まることはないと思って、自分ひとりでやったようにしたらいいと思った。」「然し、甲が公判で嘘ばかり言うので、愛想がつきた。」などと述べるのであるが、そもそも本件犯行は、被告人甲が豊田商事の悪徳商法に対する義憤に駆られ、被告人乙を誘い込んで敢行されたものであり、その犯行については被告人甲に自己顕示的な言動もみられ、少なくとも捜査の当初の段階において同被告人にことさら自己の罪責を免れようとする態度は窺われなかったのであるから、このような状況のもとで、被告人乙が被告人甲の実行行為についてまで、これを自己の行為として述べることにより、同被告人をかばわなければならない事情が存したとは考えられないばかりか、被告人乙が被告人甲の刺傷行為を具体的に供述するに至ったのは当審でのことであり、原審においては被告人甲の弁解に直ちに反論する態度に出ていないことに照らして、被告人乙の供述変更の理由に関する右供述は未だ首肯しがたいものであることなどを併せ考えると、被告人乙の公判段階における供述もまた、にわかに信用しがたいものといわなければならない。

一方、被告人両名の捜査段階における各供述は、いずれも殺意、共謀及び犯行状況などについて原判決の認定する事実に沿う内容のものであって、この点で相互に決定的な食い違いはみられないうえ、被告人乙が永野方の窓ガラスを蹴破り、被告人甲から受け取った銃剣を持って右窓から永野方に侵入して、同人方前の廊下に集まっていた報道関係者の前から一旦姿を消したが、やがて血に汚れた右銃剣を所持した姿で再び窓際に姿を現わして同所から右廊下に出たあと、そこから窓越しに永野方室内に身を乗り入れて窓際に倒れている同人の腹部を右銃剣で突いたこと、また被告人甲も被告人乙に続いて右窓から永野方に侵入し、同様報道関係者の視野から暫く離れたのち、胸部腹部等に刺傷を負って瀕死の状態にある永野を右窓際に連れてきて報道陣に示すなどし、次いで被告人乙に続いて永野方から右廊下に出て、居合わせた報道関係者に対し、「警察を呼べ。」「俺が犯人や。」「やったぞ。」などと叫んだこと、本件犯行直後現行犯逮捕された際の警察官の職務質問に対し、被告人乙は、右銃剣を所持したまま、「永野と思うがこれで頭をどついて腹のあたりを二回位刺した。」旨述べ、被告人甲は、「お前も一緒に殺ったのか。」と尋ねられて、「そうや。じたばたせえへん。」と答えたことなど、原審の取り調べた証拠によって認められる客観的事実にも符号するものであり、さらに、本件の実行行為に関する部分が、被告人両名と被害者のほかには目撃者が存在せず、いわゆる密室内での出来事であって、その具体的状況、ことに被告人両名の個別的な言動についてはその各自の供述をまつほかなく、捜査官においてはその供述を誘導することは殆んど不可能であること、捜査段階において、終始実行行為の重要部分を分担した旨供述している被告人乙が、被告人甲をかばってこのような供述をすることは考えられないことであり、一方被告人甲においてもことさら自己の罪責を免れようとする態度を示した形跡は、少なくとも捜査段階についてみるかぎり、これを窺わせるような証拠は存しないこと、当審証人金谷隆志、同吉本正男、同東巖の各証言によれば、被告人両名は、警察官及び検察官の取り調べに素直に応じて、犯行時はもちろんその前後の状況についても記憶に従って供述し、また捜査官においても誘導、強制等被告人らに不任意又は不本意な供述を強いる言動に出ていないことが認められることをも併せ考えるとこれら被告人両名の捜査官に対する供述は十分信用に値するものと認められる。

弁護人峰島徳太郎の所論は、被告人乙の捜査段階における供述によれば、永野に対する傷害行為はすべて同被告人が実行したこととされているが、(1) その実行行為の具体的状況に関する同被告人の供述が首尾一貫しないこと、(2) 永野方の幅員九〇センチメートルの室内廊下において、被告人甲に正面から抱きつかれている同人の左脇腹を被告人乙が背後から所携の銃剣で刺したと供述しているが、右銃剣の全長が約五〇.七センチメートルで廊下の幅員の半分以上の長さがあることなどを考えると、右手に持った銃剣で背後から同人の左脇腹を刺すことは不可能と考えられること、(3) 被告人乙が永野方から同人方前廊下に出たあと、さらにとどめとして同廊下から窓越しに永野方寝室に倒れている同人の右脇腹を銃剣で刺した旨供述しているが、右銃剣の長さ、永野が倒れていた位置及び右腹部の刺創の状況などに照らして、右のような方法で同人の右脇腹を刺すことは不可能と考えられることなどからすると、被告人乙の右供述は不自然で信用できないと主張する。

しかしながら、所論(1)については、被告人乙は、予め間取り等についての予備知識をもたずに薄暗い永野方居室内に侵入し、短時間のうちに、しかも高度の興奮状態のもとで、必死に逃れようとする永野のあとを追って居間、廊下及び寝室の間を移動し、その間同人に多数の傷害を与えているのであるから、その犯行状況についての同被告人の記憶に少なからぬ混乱があるのはむしろ当然と考えられ、記録によれば、捜査段階における供述の訂正変更も、実況見分に立ち会って改めて永野方の室内の状況を見たり、また記憶を整理しながら順序立てた供述をする過程で、記憶違いに気付いたことによるものも少なくないことが認められるので、同被告人の捜査段階における所論の点の供述が首尾一貫しないからといって、このことが直ちに、永野に対する傷害行為がすべて同被告人の実行によるものである旨の捜査段階における同被告人の一貫した供述の信用性を左右するものとは考えられない。所論(2)については、原判決挙示の証拠によれば、被告人乙は、永野方の室内廊下において、被告人甲に正面から抱きつかれている永野の左脇腹を銃剣で刺したこと、及び永野の左側胸部に肺損傷を伴う深さ一九センチメートルの刺創が、また同人の下腹部前面の左側と右側に腹内で連結する刺傷がそれぞれ存在し、その各創傷の部位程度などから、右刺創のいずれかが同被告人の述べる右創傷行為に起因する傷害に相当するものであると認められるが、これは、被告人乙に襲われて居間から右廊下へ逃れてきた永野に正面から被告人甲が抱きついたときの出来事であり、永野が逃れようとし、被告人甲が被告人乙にとって刺しやすいように永野の身体を支えようとして、両者がもみ合うなかでの一瞬の行為であることを考えると、その間の両者の位置関係や永野の身体の動きにより、被告人乙が永野に対し、所論のような方法で所論のような傷害を与える可能性は十分にあったものと認められる(被告人乙が永野の左脇腹を銃剣で刺したその時点において、なお所論のように、同被告人が永野の背後の位置に止まったままの状況であったとまで認むべき証拠は存しない)。また所論(3)については、鈴木史郎の司法警察員に対する供述調書など関係証拠によれば、被害者永野は、本件犯行後通報により救急隊員が現場に駆けつけた際、同人方寝室の窓際床面上に、窓の方に頭を向け、両足を倒れた扇風機の上に乗せて左側臥位でやや海老状に倒れていたこと、この時迄永野の身体の位置が動かされた形跡は存しないことからみると、被告人乙は、右の位置に倒れていた永野の右脇腹を銃剣で刺したものと認められるところ、同被告人は捜査段階において、窓から右寝室に上半身を乗り入れるようにして逆手に持った銃剣で永野の右脇腹を刺したと述べており、司法警察員作成の実況見分調書によれば、窓の高さ八五センチメートル窓際から右扇風機までの距離が一メートル前後であるから、永野の右脇腹はそれよりもかなり窓に近い位置にあったものと考えられるから被告人乙において右のような体勢で永野の右脇腹を銃剣で刺すことは十分可能であったと認められる(なお所論は、その刺創行為による傷害が、腸間膜、門脈及び右腎動脈刺通を伴う深さ一一センチメートルの右腹部刺創であることを前提にその主張を展開するが、証拠上これを確認するまでには至らないのであって、他にも、下腹部前面の左側と右側に腹内で連結する刺創または肺右葉、門脈貫通及び腹部大動脈刺通を伴う深さ一九センチメートルの右側胸部刺創が存在し、そのいずれかが右刺創行為に基づく傷害である可能性も否定できない。)ので、右所論はいずれも採用できない。

さらに弁護人峰島徳太郎の所論は、原判決は、本件殺害行為と被害者の死亡との因果関係につき、「側胸部刺創に基づく肺貫通創により出血失血死させて殺害した。」という本件起訴状記載の訴因に対し、「左右側胸部及び腹部右側各刺創に基づく出血失血により死亡させて殺害した。」と認定したが、このように訴因に記載された因果関係を拡大して認定する場合には、原裁判所において予め検察官にこの点の釈明をして被告人側に防禦態勢をとらせるべきであったのに、これをしなかったことは審理不尽にあたるというのであるが、原判決は、訴因と同様、本件殺害行為によって生じた傷害に基づく出血失血による死亡の事実を認定しているのであって、訴因と同一の経過、態様の因果関係を認定したうえで、その内容を証拠に基づきさらに具体化して所論のように認定したものにすぎず、因果関係そのものを拡大して認定したとはいえないばかりか、訴因の記載及び原審における審理の経過に照らすと、被告人側においても、原判決が出血失血死の原因として認定する左右側胸部及び腹部右側各刺創が本件殺害行為に基因するものであり、かつ、それが死亡の原因となったことについては十分に予測しえたものと認められるから、原裁判所において、検察官に釈明することく、所論の認定をしたことをもって、被告人側に防禦を尽させなかった審理不尽があるとはいえず、右所論は採用できない。

以上のとおり、所論の各事実についての、被告人両名の捜査段階における各供述には信用性が認められ、その後の公判段階において右各供述に反する供述をする部分は措信しがたいから、原判決が右捜査段階における各供述を採用し、これとその余の関係証拠を総合して殺意及び共謀の事実を含む原判示事実を認定したことは相当として肯認することができる。

そして、他に所論の主張する点について記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討しても、原判決の前記事実認定を左右するにたる証拠はなく、その認定に所論のような誤りを見出すことはできない。論旨は理由がない。

二  被告人甲の控訴趣意中責任能力に関する事実誤認の主張、並びに弁護人山田一夫の控訴趣意第一の五及び弁護人峰島徳太郎の控訴趣意第二点(いずれも責任能力に関する事実誤認の主張)について

被告人甲及び弁護人山田一夫の各論旨は、いずれも被告人甲について、弁護人峰島徳太郎の論旨は、被告人乙について、それぞれ本件犯行当時心神喪失または心神耗弱の状態にあったのに、これを認めなかった原判決は、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決がその理由中(責任能力について)の項目のもとに、被告人甲については、犯行当日の飲酒量が平素のそれを格別上回るものでなかったこと、平素飲酒のうえ異常酩酊を窺わせるような言動はみられなかったこと(なお、同被告人は、本件前一年余にわたり多量の飲酒に加えて精神安定剤ベンザリンを常用していたことが認められるが、関係証拠によるもその間同被告人に異常行動が発現した形跡は窺われない。)、本件犯行の動機が了解可能であること、犯行前後の言動に異常なところはなく、犯行直後報道関係者に対してむしろ自己の行為の善悪を弁えていると思われる発言をしていることなどを理由に、また被告人乙については、犯行前後の言動に格別不自然な点がないこと、同被告人が本件犯行に加担したことが了解可能であることなどを理由に、それぞれ本件犯行時事理を弁別しそれに従って行動する能力を十分備えていた旨認定しているところは、原判決挙示の関係証拠によってこれ肯認することができ、当審における事実取調べの結果を併せ検討しても、右認定は変わらない。論旨は理由がない。

三  検察官の控訴趣意、並びに弁護人山田一夫の控訴趣意第二及び弁護人峰島徳太郎の控訴趣意第三点(いずれも量刑不当の主張)について

各論旨は、いずれも量刑不当を主張するもので、要するに、検察官は、本件犯行の動機、態様、結果の重大性及び社会的影響などにかんがみれば、原判決が、被告人甲を懲役一〇年に、被告人乙を懲役八年に各処したのは、その刑期において著しく軽きに失し、さらに被告人両名に対し未決勾留日数二六三日のうち二二〇日という過大な日数をそれぞれの刑に算入した点をも含めて、刑の量定が著しく不当である、といい、右両弁護人は、いずれも、本件の犯情及び各被告人の情状に照らし、その量刑は重きに過ぎる、というのである。

そこで、各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、次のとおり判断する。

本件は、当時社会問題となっていた豊田商事株式会社のいわゆる金の現物まがい商法に強い関心を抱き、その強引で詐欺的な商法により多数の老人等を悲惨な目に合わせている同社及びその最高責任者である同社代表取締役会長永野一男に対し激しい憤りの念を抱いていた被告人甲が、右永野を自決または殺害の方法によって亡き者とする意図のもとに、被告人乙を伴って折柄多数の報道関係者がつめかけていた原判示永野方前廊下に赴き、施錠された玄関戸を開けさせようとして懸命にパイプ椅子でその戸を叩くなどするうち、被告人乙が玄関戸の横の窓ガラスを蹴破ったのを契機に、被告人両名において永野を殺害することの共謀を遂げたうえ、相次いで同人方に侵入し、所携の銃剣で同人の胸部腹部等を多数回突き刺して殺害した住居侵入、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反の事犯であるところ右犯行が被告人らの義憤に出たものであるとはいえ、このような暴力を手段とした私的制裁が現行法秩序のもとで到底許容されないものであることはいうまでもなく、その犯行態様の残虐性、発生した結果の重大性に加えて、その生々しい惨劇の前後の状況がそのままテレビで放映されたことによって一般市民に多大の衝撃を与えるなど、社会的な影響も大きく、しかも右放映については、被告人両名において予めこれを計算に入れたうえで本件の犯行に及んだと認められること、被告人甲については同被告人がかねて持ち続けていた独善的な偏った正義感が、また被告人乙についてはその前科関係等にみられる短慮、粗暴な性格が、それぞれ本件を敢行する一因とったものと認められるが、被告人甲には今なお右正義感の独善性を自認反省する態度が窺われないことなどに徴すると、被告人両名の罪責はまことに重大であるというほかなく、以上指摘の諸事情を重視するかぎり、被告人両名に対する原判決の量刑が軽過ぎるとの検察官の所論もうなづけないわけではない。

しかしながら、被害者永野が、その経営する会社によって組織的に行った詐欺的商法により多数の老人等市民に対し多額の金銭的損失を与えながら、「商売に道徳は不要」などと居直った言明をしたことは、社会一般のひんしゅくを買うに値する行為であり、この点で右永野に責められるべき行動のあったことは否定できず、被告人らがこれに義憤を覚えてその義憤が本件犯行の主要な動機となっている以上、その犯行が私利私欲に基づくものでないことを情状として考慮することは、検察官の主張するように誤りであるとまでは考えがたいこと、被告人甲は、原判決も指摘するとおり、本件犯行をあらかじめ具体的に計画していたものではなく、犯行現場に臨んではじめてその犯意を固めるに至ったものであること、また被告人乙は、本件当日偶々被告人甲の許を訪れたことから、同被告人に誘われるまま半ば漫然と犯行現場に至り、同被告人の言動からその意図を察知するに及んでにわかに犯行への加担を決意し、事のなりゆきで自らその実行行為の主要な部分を担当することとなったもので、原判決が、同被告人について全体的には従属的立場にあったとしていることは、十分に首肯できるものであることなどの諸事情を考えると、検察官所論のように、本件犯行の動機に同情すべき余地がないとまでは断定することができず、またその態様においても、周到に準備された計画的犯行であり、被告人乙の役割も従属的立場とはいえないとの検察官の所論も、にわかに採用しがいた。

なお、右両弁護人の所論中には、本件犯行は犯行現場付近に居合わせた多数の報道関係者らの言動に被告人両名があおられて敢行されるに至ったもので、右報道関係者らにも多大の責任があり、この点は情状として十分に斟酌すべきであるとの主張が存在するが、記録によれば、被告人両名は、犯行現場付近に多数の報道関係者らが参集していることを承知しながら、あえて右現場に臨んだうえ、むしろ自ら積極的に自らの言動を報道関係者らに取材させ放映させる態度をとっていることが認められる一方、右報道関係者らが被告人両名にことさら本件犯行をあおるような言動をとったことを認めるにたる証拠は存しないから、弁護人両名の右主張は採用のかぎりではない。

そして、本件犯行の動機、態様が悪質であり、貴重な人命を奪った結果の重大性に徴すると、前記情状に加えて、被告人両名の反省状況、家庭の事情などを併せ考慮しても、被告人甲を懲役一〇年に、被告人乙を懲役八年に各処した原判決の量刑が重過ぎるとの両弁護人の各所論は到底採用しがたいものというべきであるし、また右に述べたとおり、検察官の所論にも必らずしも全面的に左袒しがたい部分が存する以上、被告人両名に対する原判決の各量刑は、未決勾留日数の算入の点を含めて、いずれもこれを変更しなければならないほど軽過ぎるものとも考えられない。各論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条、一八一条一項但書により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西村清治 裁判官谷村允裕 裁判官瀧川義道)

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